ミスマッチじんせいをおわらせたい

自分と向き合わず環境や他人へ責任転嫁してきた人間がそれを自覚して始めたぶろくです

転校、我儘から優等生へ

子供のころはどうしたって親の都合に従わなくてはなりません。

親の都合というのは様々ですが、わたしの場合転校というものを経験しました。

小学校4年生に上がるときに転校することになりました。もともと転勤族で幼稚園の時も引っ越し、わたしが生まれる前も引っ越していたようです。しかし、わたしにとってははじめての引っ越し。せっかくできた友達ともお別れです。ちなみにわたしはとってもとっても我儘で、癇癪もちでしたが、周りの子たちがなんだかんだ優しく構ってくれていたのでした。そんなことには気づかずにわたしはお別れしてしまいました。ちなみにこの頃が一番友達がたくさんいたのではないでしょうか笑


そんなキラキラした土地(かなり思い出が補正されていると思うけど)を離れて一台の車が新しい土地へ行きます。

運転席には母、助手席には父、2列目の右側には姉左側にわたしが乗っていました。引っ越しのトラックに乗せなかった荷物が私たちの座るスペースを狭くし、より一層惨めな気持ちで泣いていました。

自分の家族以外の全てが変わる。そんな体験って結構怖いことですよ。そして、自ら決断できないのですからなおのこと。


わたしは、とても臆病な人間でした。何も考えずに生きてきて突然違う場所へ行く。どう振る舞えばいいのかとか、今まで気にもかけなかったことの正解が途端に分からなくなりました。正解なんてないのに。

この転校を受け入れられた場合、さあ、ではわたしはどう生きようか?と筋を決めるチャンスがあったのかなと思いますが、、、わたしにとっては父やこの現実を責めることで自分を保つことで精一杯だったんだろうね。

わたしは自分の感覚を手放して、学校生活における正解のあり方を求めた。誰にも責められない仲間外れにされない。安心できるには、どう振る舞っていけばいい?

そして、わたしが選んだのは優等生であることでした。先生が言うことをしっかり守っていれば、大丈夫。それはとても簡単でした。もう、やりたいことも考えずに、ただ言われたことをやればいいだけだから。

自分はどう思うか考えるとかよりも、学校で少しでも安心する瞬間が欲しかった。学校では先生が答えを持っているから、先生の言葉や様子を見れば自分が合っているか間違っているかはなんとなく分かります。

わたしは、子供なりにそういう処世術を選んで自分自身から距離を置いたんですね。

そして、おそらくここから他人からの評価がわたしの中で大きな大きな価値を持つことになってきたのでしょう。