ミスマッチじんせいをおわらせたい

自分と向き合わず環境や他人へ責任転嫁してきた人間がそれを自覚して始めたぶろくです

中学生、ヒエラルキーの変化

学校生活の課題として、ともだちというものが大きく影を落としました。
その悩みが本格化したのは中学生からでした。
わたしは公立の小学校を卒業し、そのまま自然に公立の中学校へ進学しました。ひと学年8クラスほどあったため、たくさんの人たちとの交流が始まったのでした。
わたしは、その頃から自分の学校での優等生というあり方に限界が来ていると少しずつ感づいていました。
先生に反抗する人、自分の趣味を追い求める人、スポーツつに勤しむ人、男女で交流を深める人(昔の人の表現みたい笑)わたしは、ここでも正解のあり方がわからなくなります。
小学校では守られていたように感じた優等生というポジションも、中学校では様々な冷やかしや反感を買うようになります。

みんな楽しそうに見える。絶対の友達がいて、小学生の時よりも考えることも発言することも、先生の言う通りのことだけではなくなってきていた。でも、わたしには分からなかった。どうして一人一人考えて、教科書や先生の言っていない考えとか意見があるのか。
わたしは、先生が喜びそうなこと、そうあるべきことぐらいしか思いつかない。

そして、自意識過剰だったわたしは一部の人からおそらくその挙動とかで馬鹿にされる人間となりました。
必死に友達を作っても、嫌われていると感じたら自分が惨めで苦しくなったし、現に人は離れていった。友達を人として見れていなかった?そもそもわたしが人として中学校を楽しめなかった。

学校規則であるべき姿は示されているのに、周りの子たちはそれに対抗するし。わたしはなんとなく真似をしてしのぐしかなかった。何にせよ、授業以外でなにをすれば良いかわからなかった。

ここにも自分の筋ってやつはなくて、学校で自分よりしたに思える人間を馬鹿にしては、自分はなぜこんなにみんなと仲良くないんだろうとか思っていたんだっけな。
加えて、周りの子たちと雑談ができなかったな。
存在しない正解をまだまだ求めていたし、周りに中途半端に合わせていたし、何もかもがなんとなくで、でも決めきれなくて、楽しめなくてただ過ぎていった時間。
成人式に行ったけど明らかにイラッとされることが多かったし。わたしはどんな態度で過ごしてたんだろうね。色々なことが一致せず、その場しのぎで色々な人を傷つけていたに違いない。