ミスマッチじんせいをおわらせたい

自分と向き合わず環境や他人へ責任転嫁してきた人間がそれを自覚して始めたぶろくです

高校、居心地の悪いところにしがみつく

高校は姉と同じ高校へ行った。

確か、中2とかそのくらいの時は別の共学の高校がいいと先生とかには言っていたが、偏差値とかの関係でそこはダメだと言うことになり。

そうなったら、考えることをやめて(やりたいことなどなかったし、目指したいこともなかったから)姉と同じ高校を目指した。

なんとか入学を果たし、落ちた人たちへの優越感を感じながら(我ながらくそ。今その時の自分に会えるたら高校なんかで決まりません、どう高校生として頑張るかだよと言いたい)わたしは女子校での生活をスタートさせた。

個性豊かな人たち、賢く鋭い意見を持った人たち、キラキラした女子たちがそこにはいた。

わたしは中学校から発動した、人とうまくやっていけないオーラを纏いながら、自分の生き方を決められることもなく、ろくに自己紹介もできないまま女子校生活を始めた。

ここで、自分自身の欠点として、重要な決断を考えもせず下すということをあげたい。

まず、望みがなかったから(スポーツをやりたいとか、なにをもっと勉強したいとか、)高校をリサーチすることもしなかったし。

一度偏差値で制限があるとおもったら、あんまり選択肢はないなと。今の自分とこれから行く高校がどう調和するかとか全く考えていなかった。まず学校自体が嫌いだったが、学校に行かずに働くという決断もできない。世間的に、親族の常識的に学校へ行かないだとか、偏差値でダメと言われる高校に行くことはあってはならないことだという言語化されていない「常識」があった。

そして、わたしは姉と同じたら文句も言われないだろうとその高校を選んだのだった。

また、ここでもともだち問題はつづく。そして、新たに協調性の問題もあることに気付いたのだった。

雑談が続かない、なにを話せば正解?全然面白くない。相手が笑ってないと不安。お昼が苦痛。どうして必ず誰かと食べてないと「ひとりの人」、「問題のある人」、「なんだか浮いている人」になってしまうのだろう。

高校生ともなれば、みんな自分の見方があり、意見があって、趣味があって。いわゆる「世界」を持ち始めていた。わたしは、自分にそういうものがないと焦っていた。

極め付けに、姉がやっていた同じ部活動にまで入ってしまった。わたしは、なにをするのにも不安だった。自分で全て選んでいるのに、どれひとつとしても、自分の本心から選んだものはなかった。そういうものを吟味する暇もなく、学校では決める期限が来てしまう。(いや、入学前に決めとけよということですが、、そして、今となっては新聞部と演劇部みにいっとけばよかったのに!!)


高校は勉強と部活、みんな大人だったから人間関係でダイレクトに辛い思いをすることはなかったけど、わたし自身がまだまだ子供だったから、話せる人話を合わせに来てくれる人は本当に少なかった。


そして、不思議なことにわたしは人の不機嫌とか自分に対する敵意は敏感に感じ取れても、自分の言動が相手にどういう影響を与えうるか考えることが欠落していた。だから、なぜか分からないけどこの人はわたしを嫌っているとかそういう状況になってしまうのだった。


わたしは周りの方たちが溌剌と高校生活を送る中、悶々とし、終わりのないトンネルを下を向いて歩いているようだった。

わたしは、様々なことの意味を理解しないまま、周りの顔や姿という外面ばかりを目で追っていた。そして、一瞬自分を見てみると、何もない、無いのだった。わたしはいろんな思想チックなものや正解みたいなものを借りてきては、自分に合わない、合わせられないと絶望をしていた。ただ、顔が可愛いとか、先に始めたとか、独自のくそ基準で周りをランクづけして一部の人を下に見ることはまだまだ続けていた。

クラスには居場所はなく、空回りのやる気を部活に向けていた。そうしていないとわたしには高校での居場所はなかった。

この時期はただただ部活の人たちに迷惑をかけ続けたいたとうことに少し経ってから気付いた。

ポジションや役割を理解しないままよくも3年間やってこれたよなぁ。同学年や上下の先輩方には、理想のチームを作るにあたってのおおきな障害となってしまったこととても申し訳なく思っています。