ミスマッチじんせいをおわらせたい

自分と向き合わず環境や他人へ責任転嫁してきた人間がそれを自覚して始めたぶろくです

ふりかえり

ふりかえり


学習できるか。

明日は、研修の時にもらった資料を2ページ読んで、ワードツリーを作る

出来なかった!

代りに、進行中の案件の進め方

お客様とのやりとりのきっかけの作り方

別の業務では、ミスをなくし早くできるか。

ミス一覧を作ってどうすればよかったか。チェックリスト作成したり、予防するための行動を決める

できてない!おーのー

お客様を獲得できるか。

やる。観察する。相談する。方法を考える。繰り返す

テレアポ、声を低くすると確率上がる気がする。

良い順番で仕事ができるか。

1時間ごとの時間割を作って実行。途中の作業は所要時間をメモ。優先順位の付け方と反省

出来た。けど、たくさんやるべきことが降り積もってきた、、、

振り返ると、時間に対してやっていることがまだまだ少ない気がする。

(以前のパニック状態の回数は減った!)

早いやり方を考える。順番を考える。

やると決めたことに一定時間集中する。メールを見る頻度を減らす。

よく寝ると頭の具合が違うと実感した。

やっぱりよく食べて寝るのは大切だ。


明日のこと

明日から仕事が始まる

週に2回の買い物から帰ってきてから苦しい

でも、この連休のおかげでたっぷり休むことが出来たし、ステイホームのおかげでこんな風に自分と向き合い始めることができた。

早く寝たほうがいいのだが、苦しいから眠れない。こうやって言葉を考えて打ち込んでいると落ち着くからやっている。

環境が自然と良くなることはないことを受け入れる

自分でぱっぱと動くことを基本とする。他の人達は他の人たちの環境に合ったやり方でやっているだけなので良いも悪いもなし。

目をそらさない。つぶらない。

今わたしの体をわたしとして生きているのはこのわたし。


ふと、気づいたことがある。

やる気のあるなしの高低差が大変激しいということ。

自分を奮い立たせてパフォーマンスしてしまうが、それはわたしの日常ではないみたいで。

だからなにか決断するときは、この情熱を最後までキープし続ける方法を探し続けることも約束するべきだ。


わたしの現状は、前の投稿の通り

どうしていこうか。


学習できるか。

明日は、研修の時にもらった資料を2ページ読んで、ワードツリーを作る

別の業務では、ミスをなくし早くできるか。

ミス一覧を作ってどうすればよかったか。チェックリスト作成したり、予防するための行動を決める

お客様を獲得できるか。

やる。観察する。相談する。方法を考える。繰り返す

良い順番で仕事ができるか。

1時間ごとの時間割を作って実行。途中の作業は所要時間をメモ。優先順位の付け方と反省

これ全部できるかな?

まだ苦しいけどおやすみなさい。

今のこと

新人だから少しずつ引き継いでいって、、といった余裕が支店になく、昨年やめた方の口座が今年の4月からわたしの担当となった。


わたしは先輩について一人で受注から納品まで立ち会ったことが昨年の8月あたりに一度しかないが、前任がこの4月から大手を担当するため基本的にはわたしがやるのだ。育てる気が一ミリもねー。そして、流れなどをまとめた統一の資料もない。見て学ぶのだ。職人かよ。


いつも緊張している。会社の携帯がなると心臓がバクバクするし。

自分でもよくわからないまま目標金額を決め、一つも仕事をとってきていない現状と別の仕事が日常的にあるという環境。


どんどん月日が進むが、リピートのお客様は観光関係で受注がガタ落ち。こんな状況で新しいところへ飛び込みにいくこともなく。電話をしては煙たがれる。


この状況を、どうやって生きる?

どうやって、死にたいと思わないで生きていく?


この書き方だとまだまだ、環境のせいにしている。


こんな状況に対して、どうやっていくのかは、わたしが決めるのだ。


やめるなら辞めるで、次の働き口を今度は間違えないように見つける方向へ。


続けるなら続けるで、どうやって心理的ストレスを少なく出来るか。

学習できるか。

別の業務では、ミスをなくし早くできるか。

お客様を獲得できるか。

良い順番で仕事ができるか。



今のこと

今は、コロナのため会社の業績が大きく傾き、上層部の人間たちは血眼になっている。そして訳あって昨年の2,3月頃から別の仕事と並行して営業の仕事をやっている。


現実を簡潔にいうと。

営業の仕事をどう取り組めばいいかわからない。

製造面の知識が足りない

別の仕事のミスが多い、時間がかかってしまう。

営業資料の作成が苦痛

上司が吐き気がするほど嫌い

なぜあるかわからないプライドがある

とにかくなにもしたくないと思う


全てがいやで、色々なことがわからないまま進んでいき3日前に資料の提出がアナウンスされ、やり方をわからぬまますぎ、期限に間に合わず怒られる。自分から全て聞かなくては教えてもらえない。何か有れば泣いている。

そして、お出かけも出来ないし、好きな場所にも行けないし。これは病みますわな。


誰かのせいにしてしまって考えるのをやめたい。

忙しくて教える人がいないとか、他人に話すとあんたの会社オカシイねと言われるところはある。

そこでとまってしまってはいけない。ここで、その現実を受け止めて、どう取り組んでいくかを自分で決めてやりたいのに。

誰かのせいにして、努力しない理由を手に持ったままなんだよな。

自分を派手に攻めて見せて、問題の根本とは向き合おうとはしない。泣いて泣いて疲れて諦めて終わり。

この繰り返しを、してきた数ヶ月。


就職活動

こんなコロナとかの流行がない時だったので、わたしの時期の就活は(だったの2.3年前ですが)数社内定もらってその中から選ぶと言った人が多かったのではないか。


そんななかわたしは積極的に営業職を見て回っていた。(ここで自分側の間違い。わたしは人間は好きだが、人間とうまくやってきたことはない)なにも、できると思ったわけじゃなく、挑戦するぞという意気込みだったと思うけど。

何にせよ、この決断がおおきな間違いでした。

そしてちゃんと受けたのは4社ぐらいだった。少ねえ。

今回は、自分のことを知らないまま営業職を選んでしまったこと。ビジョンも持たずに、会社の人事の人を見て会社を選んでしまったことがおおきな問題。


大学の時のバイト先ではやっぱり人間関係が大切と感じたので、人事の人を見るという判断基準は自分なりに考えたものだった。


しかし、このやり方はとってもとっても疲れる。高校、大学も適当に決めていたので、ここでもやり方を決めたものの、見直すことをせず就活を始めて、苦しさから終えてしまった感。


会社なんてどこも一緒と思いたいが、会社によって全然違うという現実。そして、当たり前のようにみんな就職していく空気。


就活を少しでも楽しもうと、逆に興味のある劇場の大道具製作の会社へ2社ほど行った。しかし、見ていたのは営業職だったので、これもなんか大変そうだなと思った。

また、劇場関係では、地方自治体へ劇場を提案し、建設やマネジメントを行う会社も受けてみた。とっても素敵な人たちだったけど、話している時に、「本当は(劇を)やりたいんじゃない?」と言われたりして、うーん。となってしまった。そして、その会社は行政へ文章を書いてやりとりするのため、試験も文章を書くものがあった。

わたしは少しもかけなかった、、、

そんなこんなでそこは落ちた。

大道具会社は結局受けなかったし、演劇に対して中途半端になってしまった。


いきたいところがないのに、何処かには行かなくてはならないという、なんとも気持ちの悪い状態。

職との出会い方がもっと変わればいいのにと思うけど。

一社受かった時点で、もう完全にすこし先の未来を考えることを投げ出してしまった。

ああ、バカな奴。

でも、事務職とか向かないし(細かいことを素早く処理できない)何の技術もない。そもそも、職種ってどのくらいあるの?今でこそこんな具合だから。

自分の非力さを認めるとともに、等身大に見る事ができていなかった。

演劇が楽しくできたのはひとえに周りの人のおかげでした。


大学、協調性と個人の役割

前々から学校は嫌いだったのに、大学へ行くもんだという無意識によって地元の大学へ進学。
他県の大学に憧れを持つも、自分の学力では無理だなと早々に諦めをつけていた。
この時ばかりは、もう姉と同じ学校へ行こうなどとは思わなかった。姉とわたしは全然違うということに気がついたから。(流石に学んだのです)
おそらく初めて少しはマシな決断をすることが出来たと思う。

大学の教授たちは人間だと思えたし、なにより自分の考えと専門分野を持っていた。大学生たちも、かなり自分を持っている人々がわんさといた。高校で戸惑うことは終わっていたし、やはり自分には何かが足りないと思っていたけど、どうすればいいかわからないままだった。
大学生にもなると、自分で自分をプロデュースしている子がたくさんいた。はじめは、洋服やお化粧にずいぶん圧倒されてしまった。
わたしはブスだな。わたしには個性みたいなの何にも無い。どうやったらそんなに輝けるのなんて聞かないし。ただキラキラの同級生が全く別の生き物に思えたし、自分はどうしてこうなんだろうと思っていた。その辺は学年が上がるにつれ、そして偉大なるYou tuberたちのおかげで自己満の域には達しましたので割愛。

わたしはこの大学でとっても大好きなものに出会いました。それは、演劇でした。新入生のための劇を見た時、おそらく生きていて初めて、わたしもやりたいと思えた。わたしにとっては、生まれて初めてのこの気持ちものすごい宝物だったんだね。
マキシマムザホルモンのぶっ生き返すを聞いた時のように身体中の血液が炭酸のように湧いて、なんだこれ!すごいもの見た!わたしもやりたい!!って思った。

そして入部。そのサークルでは先輩たちが優しかった。今思えば、個性を持った人と個性を面白がれる人が良い塩梅にいたのだった。
もちろん、依然としてわたしの振る舞いは独りよがりだったし本当に自己中だったけど、色々なことを通して(事件や目に見えにくい衝突)、協調性とは何か、わたしはどうやって参加するのかということを考え始めるようになった。(他人と比べれば数年遅いと思う、なんだか大人だなと思ってた子はこういうことを考えて行動していたのだろう)
これをなんとか大学3年くらいまでに気付いた。(今となってはまだまだ学べることはあっただろうにと思うくらい、たくさん迷惑をかけたし、うまく行かないことはたくさんあったけど)
わたしは少しずつ、このままじゃダメだ(現状を良い方に変えたい!)と思い、現状とどうすべきかを紙に書くことを覚えた。いい劇を作りたかったから。ああ、色々始めるの遅いけど。
サークルでは、劇ごとに役職が選べたので色々体験できた。中でも役者は、訳もわからず台本を読んでいた1.2年を経てやっと3年にして、台本を読めるようになった。

台本を読むためには、沢山の想像力を使うし、的確に演じるにはそれを言語、非言語で自分なりに表現することが求められる。そして、演出が台本をどう読み込んで、どう演出したいかも理解することも大切。
それを練習で演出の世界とすり合わせていって、ほかの人たちの表現する世界(演技、小道具、舞台、音響、照明)と調和する。本番を迎える。

このことに気付いた時、わたしは今まで散々人の顔色を伺ってきたけど、その人を見ていなかったことに気付いた。わたしは、他人を、自分を観察せずに生きてきた。一体なにを見てきたんだろうと思うほど、わたしは人間を見ていなかった。

他人を観察しようと思ってからは、だいぶ面白い日々になった。
最後の公演には、役者という役割の取り組み方もやっと分かったし、こう取り組もうと思ったことをやっと出来た。ここまで来るのに余計なトラブルとか、迷惑をかけたなぁ。(そして、ようやくここで、以前の自分の傍若無人さを認めたのだった)

大学も入学すれば卒業をするもので。
わたしはまた適当に決めた会社の内定を1社のみ貰ってすぐに就活をやめてしまった。
また、演劇で他人との関わり方を少し勉強できたので、わたしはどこへ行ってもなんとかできる!という謎の自信に包まれていた。あと、社会の事知らなすぎて、逆に舐めてるとこがあったね!

また、同じ失敗を繰り返したね。
リサーチ癖がないのがたたって、また適当に物事を決めてしまったね。
かと言っていきたいところもなかったのだけど。

高校、居心地の悪いところにしがみつく

高校は姉と同じ高校へ行った。

確か、中2とかそのくらいの時は別の共学の高校がいいと先生とかには言っていたが、偏差値とかの関係でそこはダメだと言うことになり。

そうなったら、考えることをやめて(やりたいことなどなかったし、目指したいこともなかったから)姉と同じ高校を目指した。

なんとか入学を果たし、落ちた人たちへの優越感を感じながら(我ながらくそ。今その時の自分に会えるたら高校なんかで決まりません、どう高校生として頑張るかだよと言いたい)わたしは女子校での生活をスタートさせた。

個性豊かな人たち、賢く鋭い意見を持った人たち、キラキラした女子たちがそこにはいた。

わたしは中学校から発動した、人とうまくやっていけないオーラを纏いながら、自分の生き方を決められることもなく、ろくに自己紹介もできないまま女子校生活を始めた。

ここで、自分自身の欠点として、重要な決断を考えもせず下すということをあげたい。

まず、望みがなかったから(スポーツをやりたいとか、なにをもっと勉強したいとか、)高校をリサーチすることもしなかったし。

一度偏差値で制限があるとおもったら、あんまり選択肢はないなと。今の自分とこれから行く高校がどう調和するかとか全く考えていなかった。まず学校自体が嫌いだったが、学校に行かずに働くという決断もできない。世間的に、親族の常識的に学校へ行かないだとか、偏差値でダメと言われる高校に行くことはあってはならないことだという言語化されていない「常識」があった。

そして、わたしは姉と同じたら文句も言われないだろうとその高校を選んだのだった。

また、ここでもともだち問題はつづく。そして、新たに協調性の問題もあることに気付いたのだった。

雑談が続かない、なにを話せば正解?全然面白くない。相手が笑ってないと不安。お昼が苦痛。どうして必ず誰かと食べてないと「ひとりの人」、「問題のある人」、「なんだか浮いている人」になってしまうのだろう。

高校生ともなれば、みんな自分の見方があり、意見があって、趣味があって。いわゆる「世界」を持ち始めていた。わたしは、自分にそういうものがないと焦っていた。

極め付けに、姉がやっていた同じ部活動にまで入ってしまった。わたしは、なにをするのにも不安だった。自分で全て選んでいるのに、どれひとつとしても、自分の本心から選んだものはなかった。そういうものを吟味する暇もなく、学校では決める期限が来てしまう。(いや、入学前に決めとけよということですが、、そして、今となっては新聞部と演劇部みにいっとけばよかったのに!!)


高校は勉強と部活、みんな大人だったから人間関係でダイレクトに辛い思いをすることはなかったけど、わたし自身がまだまだ子供だったから、話せる人話を合わせに来てくれる人は本当に少なかった。


そして、不思議なことにわたしは人の不機嫌とか自分に対する敵意は敏感に感じ取れても、自分の言動が相手にどういう影響を与えうるか考えることが欠落していた。だから、なぜか分からないけどこの人はわたしを嫌っているとかそういう状況になってしまうのだった。


わたしは周りの方たちが溌剌と高校生活を送る中、悶々とし、終わりのないトンネルを下を向いて歩いているようだった。

わたしは、様々なことの意味を理解しないまま、周りの顔や姿という外面ばかりを目で追っていた。そして、一瞬自分を見てみると、何もない、無いのだった。わたしはいろんな思想チックなものや正解みたいなものを借りてきては、自分に合わない、合わせられないと絶望をしていた。ただ、顔が可愛いとか、先に始めたとか、独自のくそ基準で周りをランクづけして一部の人を下に見ることはまだまだ続けていた。

クラスには居場所はなく、空回りのやる気を部活に向けていた。そうしていないとわたしには高校での居場所はなかった。

この時期はただただ部活の人たちに迷惑をかけ続けたいたとうことに少し経ってから気付いた。

ポジションや役割を理解しないままよくも3年間やってこれたよなぁ。同学年や上下の先輩方には、理想のチームを作るにあたってのおおきな障害となってしまったこととても申し訳なく思っています。